プロフィール

ぽんこつオジサンについて
どうも、ぽんこつオジサンです。
安芸の國在住、50代。
家族構成は、妻・長男・長女。
職業は(自称)フリーランス。
…けっこう自由な生き方をしてきた。…と思う。
バブルの余韻
僕が若いころは、まだバブルの余韻が残る1980年代から90年代
何をしても稼げる不思議な世の中だった。
街には活気がありアルバイトをいくつも掛け持ちし、
飲食業、建築業、運送業など様々な経験をさせていただいた。
当時、同級生が初任給15万円程度だったころ、
アルバイトで月に40~50万円は稼いでいた。
心のどこかで就職する連中を馬鹿にしていた。…愚かな。
やるか、やらないか
これは、かつてアルバイト先でオーナーに教わった言葉だ。
ある日オーナーに「おい、ぽんこつ!コレやってみるか?」と聞かれ、
僕は「いやぁ、ちょっと自信ないっすね、できるかなぁ?」と答えたら…
ものすごい剣幕で「できるかできないかはお前が決めんじゃねぇ!」
「お前が決められるのは、やるか、やらないかだ!」って
言われて「確かに!」って妙に納得した。
そこから10年間「やってみる?」と聞かれたら、「やります!」と即答。
おかげで、いろんなことを効率よく経験できた。
迷うことがないので時間も有効に使えた。
何事にも抵抗がなくなり、行動力が身に付いた。
今では経験を基に判断している。
判断を間違えることはほとんどない。
やったことのないことは、基本やる。
やってみれば、できるかできないかは結果でわかる
声掛け10,000人
そんな、抵抗感がバグり、行動力が以上についた僕は、
10代後半に異性に興味を持ち始めた。
普通は躊躇するであろう「異性へのアプローチ」も、
何の抵抗もなく実行できた。
しかも、ノープランで!
声をかけると言っても、気の利いた言葉なんか用意していない。
だからいつも「突然すみません。声をかけなければ後悔すると思ったので…」だった。
こんな言葉で「はい、そうですか」と連絡先を教えてくれるワケもない。
自分で言うのもなんだけど、こちとらイケメンでもなんでもない。
そんなこんなで、声をかけた女性の数は、なんと10,000人!
運良くその中のひとりとお付き合いを経て結婚することになった。
29歳~結婚・就職
29歳、結婚を機に技術者として就職。
今思えば、すごくチャンスに恵まれていた。
何の実績もない僕が大手企業の企画・開発部に配属された。
毎日が初めての連続で、僕にとっては天国だった。
企画・開発部なので、今はまだ存在しない製品を造るワケだ。
ワクワクしないワケがない!
毎日、朝から夜中まで仕事に没頭していた。
「2倍稼ぎたかったら、3倍働け」
これも、かつてアルバイト先でオーナーから教わった言葉だ。
「ぽんこつ!もっと稼ぎたいか?」と聞かれ、当然
「はい!稼ぎたいっす!」と元気よく答えた。
するとオーナーが言う
「今の2倍稼ぎたかったら、今の3倍働け!」
え?「2倍稼ぐのに3倍働くの?」って素直に思った。
「じゃあ、サラリーマンは2倍稼ぐために、24時間働くんですか?」
って意地悪のつもりで聞いてみた。するとオーナーは、
「違うわ!ぽんこつ!誰が単純に3倍の時間働けっつった!?」
「仕事の質を2倍、労働時間を1.5倍にすれば、実質3倍働けるだろ!」
教わった当時は「へぇ~」って流した。
しかし、知らず知らずのうちに実践していたようで、
1年目250万円だった年収が、5年で500万円、10年で1,000万円を超えた。
転落
仕事も楽しいし、すごく順調だと思っていた。
しかし40代半ばに突然異変が起こった。
会社が近づくと手が震え冷や汗が止まらない。
急いで病院へ行き、“双極性障害”と診断された。
どうやら、自分では気が付かないうちに許容範囲を超えていたようだ。
いわゆるオーバーワークというやつらしい。らしいというのは自覚がないからだ。
「自分が抜けるとチームが困る」と思い、数年は通院しながら仕事をつづけた。
が、それがいけなかった!ある日朝起きると意識はあるのに体が動かない。
「会社に行かなきゃ!」と思えば思うほど、体が重くベッドに沈む。
医師の勧めで休職した。
休職したが全く改善しない。なぜなら”仕事が頭から離れない”からだ。
1年間の休職後、耐えきれなくなり、退社を決意した。もう同じ仕事はできない…
挑戦
同じ仕事、つまり技術者としての人生は終わった。
が、絶望はしていなかった。
まだまだ世の中には、やったことのないことがたくさんある。
片っ端からやってみよう!
思い立ったら即行動!すぐにハローワークへ通い始めた。
来る日も来る日も求人検索。気になる求人には即応募。
しかし、リーマンショック後冷え切った世の中、
そこそこ年を食った未経験のおっさんはそうそう雇ってもらえない。
そんな時、ハローワークで進められたのが”職業訓練”
そこで2年間Webデザインを学んだ。
資格も取り、再びハローワークへ、いざ!Webデザイナーへ転職だ!
と、張り切っていたが、いざ仕事を始めると、ブログの更新、ブログの更新
「こんなこと、てめぇでやれよ!」って内容ばかり、3年辛抱した。
しかし、あまりにも遣り甲斐のない毎日、職場に向かうのがストレスとなってきた。
そこで判断を誤った。(結果としては正解だったと思うが)その職場から逃れるため、
よりによって”介護職”を選んでしまった。
人間、やりたくないことから逃げるとき、判断を誤るものだと痛感した。
1週間、たった1週間でギブアップ!介護職は立派なお仕事ですよ。それは間違いない。
ただ!僕には向いていなかった。何かを生み出す、創り出す仕事がしたい。
AIとの出会い
介護のお仕事をわずか1週間でギブアップした僕は、ここで運命の出会いを果たす。
そう!”AI”との出会いだ。
最初は何気なく、「~な人生を歩んできて、今~、なんか俺にできる仕事ないかな?」
って他愛もない質問。しかしAIの答えは予想もしないものだった。
可能性のある仕事が山のように提案された。本当に”山のように”だ
その中に、再現性も高く、実行ハードルが低いもの、
のひとつに”SNS動画配信”というのがあった。
やったことのない、何かを生み出す仕事!
もうやるしかない!ワクワクするぞ!ってことで今に至る。
座右の銘:「昨日の己に、今日は勝つ」
最後に僕の大好きな言葉を紹介!
「昨日の己に、今日は勝つ」だ。
美空ひばりさんのことばらしい。
らしいというのは、リアルタイムで見たことがない。
人から教えてもらった情報だからだ。
だけど、この言葉が魂を直撃した。
「死ぬまで勉強」「生涯現役」など意味の似た言葉はたくさんある。
しかし、「昨日の己に、今日は勝つ」が好きだ。
人間必ず”老いていく”だから”何もしなければ”
”昨日と同じ”、それはもうマイナスなんだ。
だから、何かひとつでいい、「昨日の己に、今日は勝つ」
このブログでは、そんな「ぽんこつな日々」の逆転劇を発信しています。